選びそこなった人生

SFのタイムマシン小説には二つのタイプがある。主人公が過去の世界に行くのか、未来の社会に飛ぶのかの二つだ。ボクの好みは、過去、それも自分の人生のある場面に出くわしてしまうシチュエーションのものである。読みながら、「う~ん、俺の場合だとどうなるのだろう」と空想を楽しめるのがいい。

ボクは若いころ芸能マネージャーをしていたが、マネージャーになりたくてなったわけではない。雑誌に出ていた芸能プロダクションの募集広告に応募し、試験を受けた結果そうなっただけだ。しかも自分は俳優として採用されたのだとばかり思っていたのだから、お笑いとしかいいようがない。。でもマネージャーになってからしばらくして、「テレビに出てみないか」と誘われたことはある。それを上司にいってみたが、「バカヤロー、演技をしたこともないやつが、何を言ってるんだ!」と一言のもとに却下された。

だがしかし、である。あの時ひょんな具合に運命の扉が開いて、ボクが役者の端くれになっていたとしたらどうだろうか。役者というのは結果的にボクが選びそこなってしまった人生だが、あり得ないことだった、とは言えないのだ。まあ、なっていたとしても、ろくな結果にはならなかっただろうが、それでも空想するのはたのしい。

人にはそういう、選ばなかった人生が、いくつかあるはずだ。我々は何となく日々を過ごしているが、実はいつも,何かを選びながら生きているのであって、その選んだ結果は、人間の考えを超えて選んだ人間をどこかに連れていく。ボクのように60歳を過ぎてしまうと、ちょっとした選択が、思いもかけない方向に自分を連れていくような機会は少ないが、若い人はこれからその機会がいっぱいある中で人生を送っていくのである。それを「可能性」というのだと思う。